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今日は寄席を初体験してきた。思えば,最初に生で聞いた落語ががっちゃんと見に行った鶴瓶だったな。寄席というフレームワークでは初めてだ。落語自体のレビューは割愛します,悪しからず。「たいこ腹」のなかの下男の形容で「泥水が骨の髄にまで染み込んでまさぁ」という表現が出てきた。ちょうど昨日,先輩と脳損傷患者についての議論をしてたからかもしれないし,その噺家にそれほど好感を抱けなかったからかもしれないけど,とにかく僕は「骨の髄液が泥水で生きてられる訳ないやん」という生真面目な考えが脳裏をよぎってしまった。そこではっとした。髄液が泥水なんて発想ははサイエンスの世界ではあり得ないけど,コミュニケーション上の表現としては趣あるものだし,意味合いも直感的に理解できる優れた言い回しだ。と考えて,サイエンスに踏み入ろうとしている自分が恐くなったのだ。「分析」という名目で淀みない流れをいちいちせき止めるサイエンスは非常に野暮ったいもので,そんな始末に負えないものは無視しないといけないんじゃないか,という疑問が無視できない問題として立ち上がってきた。この種の葛藤は研究者なら当然のものだし,僕自身も昔から抱えている。野暮なことを自覚しているから,自分の専門分野の知識を専門家や被験者さん以外に示すことはほぼしないし,ある意味自制しているつもり。この辺の事情は研究者なら誰でもそうだろうけど,自覚あるいは自制の程度に関しては人それぞれの筈だ。しかし今日はあまりにも唐突に自問自答が始まって,参ってしまったのだった。 しかしご安心を,即座に解決をみました。風流とサイエンスっていうのは多分,実は同じことなんだ。ありもしない泥水と卑下してみたり,夏に浴衣を着たり,冬至にゆず湯に入ったり,あじさいの色が少しずつ違うのも,風流であり,サイエンスでもある訳なんだ。これからは理科のことを「風流」という名前にしてはだろう。国語算数風流社会。おっと,こう並べると全教科「風流」でも良い気がしてきた。いいね,学校運営目標の仮説的構成概念としての「風流」。 ゆうきよ,こっそりフォローすんなよ!ありがとう!
by kntr_inmt
| 2010-07-21 23:14
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